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あいちトリエンナーレ。

2019年 08月04日 13:57 (日)


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こんにちは。

今日は日曜日でしたね、僕は一応仕事としていますが、暇な不動産屋のオジサンです。
売出しも無いし、空き室も2部屋でしかないので、ブログでもと。

さて、例に依り何も考えても居ません。

思い付く儘・・・・・

正直、此の頃に想い付くと云いましょうか、何と云いますか目に付く事、目に余るモノはやはり韓国の事しか在りません。
僕の性格が悪い事や偏っている事は当然理解もして居ますし、少しヘイトな感になる事も想像に難く無い事でも在りますが、耳障り良い、インプット、アウトプットと横文字の御託を並べ、其の本質的意味の理解もない者が其の事を宣う事がまかり通る事ならば、自己の書く事の表現では同列なので在りましょうから、遠慮も無いとも思念致しており、他者に何かを云われる筋も無し。

ですが、今回思いました。

表現の自由って思索に絶えない事で、数式では無いし感情が邪魔をするし理性も邪魔だてしているとも云えましょう。

直接的に韓国嫌悪をして居ますと書いても良いのですが、芸が無い。

今回唸ったのは、愛知の、あいちトリエンナーレ2019の所謂、慰安婦像の展示と其れに付随し天皇陛下の肖像を燃やす映像等々が問題視されて、結局は芸術監督なる者が会見を開き作品の一部を作品展示を中止する事態になったとの事。

此の監督の説明は面倒なので割愛しますが、云いたい事は理解出来ます。

作品の展示に際し、抗議の電話や脅迫めいたテロ予告迄在ったとの事なのだが、此の事に関しては暇人だなとも思えます。

抗議が殺到する事、其の事自体は本質では無い。
飯が不味いと抗議しているに等しい事と同種で在ろう。

感情や理性と作品との解釈のギャップなだけで、パクチー何ぞ喰う奴の気が知れんと云ってるに等しく。

要は、作品は作品で個としての存在なのだが、作者の寓意したい表現と鑑賞する者の感情と理性のギャップが今回の騒動なだけで、本来の作品には罪は無いのだが、あまりにも政治色が強すぎたとの事。

表現の自由の精神では許されても善かろうとも云えるが、所詮は民主主義で公僕が執れる行為としては、多くの国民の声に無視は出来ないので在るし、其の事と芸術の何たるかの本質は全く以って別なので在ろう。

また、其の事を割り引いても今回此の芸術監督の力量自体が問われ、正直、作品として奇をてらう事で自身の名を馳せたいとの事が、此の者の裏側に所在する本質的に寓意したい監督全体のとしての作品と為したいとの事なのかとも思料出来る。

会見で涙を滲ませ、仲間の批判がどうのこうのと、作品に罪は無い的な人として当たり前の事を会見を観るで在ろう者を意識し饒舌に宣った様子でも在ろうが、其の事も本質から論点のすり替えでしか無く、抑々芸術家に仲間意識や社会性等を気遣う事等や、気を回す時点で此の者は芸術家としては突き抜ける物が無く、普通の金髪中年としての評価しか出来ないとの自論でした。

また、他方、展示中止に際して訴訟も辞さないとの事も出ていましたが、総じて日本の共産的な者が企画したのでしょうか?
芸術を利用したとの事が含意する此の企画展の総括的寓意が此の作品群なのでしょう。

個々の作品の評価は、当然各々の中に存在する感想が正解なのでしょう。
ただ其れだけの事が、同じ思いの暇人が大勢抗議と云う表現の自由を行使して、公僕が民主主義の名で多くの声を拾い、展示中止は表現の自由を奪う事にもなり得るので、テロ予告を逆手に取り安全性の問題で中止となったとの事で、関わった皆が表現の自由で不自由になったので、結果、此の企画展の題名「表現の不自由展」は皮肉にも大成功となったが、此処迄を見越して展示を企画寓意したらば絶賛ですが其れは無いでしょう。

韓国の喧噪の因果を紐付けて感情と理性と云う名の左の洗脳を用いる現代人には、芸術を鑑賞するには難しい展示だったとの事でしか無く、物の本質を診る事が難しい層や左巻きな者には受ける作品で監督とのレッテルの張られた事は間違いが無い。

芸術とは時に政治色が強い事も多いですし、戦争の悲惨さを描いているゲルニカも同じく。

今回の慰安婦像の戦争の悲惨さや其の事の是非を議論の切っ掛け云々が此の監督の言葉が有りましたが、ゲルニカとの違いは単純に事実に反する作品で在ると日本人は受け取る事から評価はなし得ないが、韓国では評価もされるので在ろうが、其の評価は互いに本質的評価では無く政治的な感情の含意された評価でしかないので在り、日本人、韓国人には此の作品を真理眼で評価は出来ないとも云えよう。

当時のピカソのゲルニカもスペインでは評価は分かれて体制、反体制で印象は変化したで在ろうが、其の思いの無い多くの者が此の作品を評価している事が本質で、内在する寓意を描いているとの事なので政治色が在っても作品の出来が良ければ全世界で独り歩きする事も事実。

此の考察から、韓国人作家で慰安婦像なり芸術家で影響力の在る者が存在したらば、作品が独り歩きし、誠が嘘に嘘が誠に為る事の方が恐怖で在り、声が大きい、多い事が体制となり得る大衆社会の中での芸術とは悲しいモノだとも思う。

だが、巡る思索の中でも諦めにも似た感情で此の事を思うが、何かを得るには何かを捨てる、逆もまた然りなのだ。
此の事を現代人は疎かにし、政治に関わり左右中立、無政府主義的発言する事が立派とも思って居るので在ろうが、所詮其れは大衆の所有物でしか無いので在るが、自戒を込め自己の思索に訊問する試みも必定でも在ろう。



其の要らないモノを捨て置き何かしら診える物が在るのかも知れないとまた巡る。

終わり。

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テーマ : 不動産投資
ジャンル : 株式・投資・マネー

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Re: 二律背反と落とし所

2019年08月08日 23:15

そうですね~

矛盾の消化と昇華です。

以前、此の事をコラムで書いた気がしますが忘れましたw

同じ事を書いたとしても、僕含め色々と刺さる事でしょうww

意外と此の消化や、妥協線を引けない事って多いですね・・・・

二律背反と落とし所

2019年08月08日 18:44

周回遅れです笑笑

表現の自由を否定する自由とは?
常識とは誰にとってのものか?

何もしないより、何かしている方がマシだと個人的には思います。

ただ、その行為を無言で支持する層からの同調圧力を敏感に感じ取らないと、ハシゴを外されるので、それも含めて自己責任で判断は必要でしょうね。

常に自分の中で否定肯定の両者の立場からの目線を持つ事が大切かと思います。

Re: 芸術って何だろう。

2019年08月08日 15:42

本当に難し事ですね。

他方にとっては嫌悪でも当人に執っては大真面目だったり致しますが。

要は、本来自由でも良いのでしょうが、想像力が無いバカ者は去れとも思います。
鑑賞する側、描く側双方共に。

曖昧さも美徳ですし、ルールも然り。

この辺の揺らぎって大抵の人は観えるのかとも思いますが、其れを超えてこその芸術でも在り、屁理屈と希少性の違いとも思えます。

芸術って何だろう。

2019年08月07日 19:59

20才の頃、油絵を少し書いていて、美術系に行った親友と芸術とはと語り明かしたことがあります。

答えは人の感情を揺さぶる
そして、何らかの行動に駆り立てる表現が芸術ではないか、、とのところで納得したものです。

では、他人に苦痛や嫌悪感を抱かせる表現は芸術なのか、
表現の自由とは何か、、、

表現の自由はできうる限り守られるべきだが、、、何をしてもいいということではない、、、この線引きではないのかなと思います。

例えば、児童ポルノは表現することや保持することは禁じられています。(それでも日本は甘いですが)
また、部落名鑑などという文書は禁止されています。

考えるてみるに、ヨーロッパでキリストの像を破壊し、踏みつける映像や
イスラム国でコーランを焼き、踏みにじる行為が芸術として認められるのでしょうか。

表現の自由は尊重されるべきですが、絶対的な自由ではありません。
それぞれの文化に超えてはならない線が存在します。

茶道を学んで感じることは、
ルールがあります。
例えばお茶を頂くとき茶碗を回します。
はっきりいえば茶碗回そうがそのまま飲もうがどうでもいいことです。

でも、そのルールを守ることが文化です。
そこにリスペクトが生まれます。

芸術は人の感情を揺さぶり、行動を起こさせるものです。

さて、他人に嫌悪感を抱かせる表現は芸術でしょうか?








Re: いろんなことが起きていますね

2019年08月05日 23:49

仰ること総じて同じく。

何でも矜持があれば貫く気概が必要なだけです。
監督も、公僕も短慮で御粗末な事に終始したとの事。

此れが行政とのお手本とも云え、其処に巣を喰う者が炙り出されたとの事でしょうね。

流石は年の功とも思えて、自己の考えに承認を頂けた様で有難う御座います。

いろんなことが起きていますね

2019年08月05日 22:58

こんばんは。猛暑にもかかわらず、休日の更新お疲れ様です。

隣の国の対応はもう出鱈目の極限ですが、この国の阿呆連中のパフォーマンスも酷いですね。今の時期にこのような芸術性ゼロの醜悪な政治的作品を出せば、こういうリアクションが出てくるのは想定内だった訳でしょう。

まさに、こういう状況こそ、芸術作品としての表現の自由を問うのにふさわしいんだ、という覚悟があってやったのなら、芸術監督自らが徹夜で電話対応してでも初志貫徹するのが筋でしょう。結果的に、この馬鹿なジャーナリストの自己満足が、芸術への冒瀆に繋がった訳です。

加えて、県知事の対応もめちゃくちゃですよ。税金を使ってやる以上、納税者への説明責任は不可欠。貴重な税金を使う正当性があるような作品であると確信しているなら、なぜきちんと主張して最大限の警備をしてでも守らないのか。

結局、この人たちは自由の意味を履き違えているんですよ。

不動産でも思うのは、「この土地は俺のモノだから何を建てようが俺の自由だ」「法律を守っているんだから、所有権は絶対だ」という風潮が日本ではありますが、こういう発想は自由ではなく、自由への侵害でしかないですよ。

ただでさえ、猛暑で寝苦しいのに、、、愉快でないことが続きますね、、、

Re: No title

2019年08月05日 17:59

酷い有様とは此の事かとも存じますが、其れ迄を含め、表現の自由は担保されないとイケないのが法の精神なのかとも思います。

だがしかし、感情では洗脳の賜物で韓国の生きる術とも云える事。
韓国は常に中国の支配下で、精神的に独立した事の無い国とも云えます。

Re: 不動産ばかりで飽きないのか?

2019年08月05日 17:56

飽きませんか?www

僕は、何方かと云うと時事問題は得意なので、ブログが性に在っているのでしょう。
ですが、広義には不動産投資に繋がる用法を書いて居るつもりですけどもw

Re: No title

2019年08月05日 17:53

芸術の名の・・・・って云う事も理解しますが、本当に自由ならば其の事も自由なのでしょうから、やはり、不自由との事は当て嵌まるのかとも思います。

当然、僕も此の糞みたいな物は芸術でも何でも無いとは思いますがw

No title

2019年08月05日 16:06

あいちの調べてみましたが酷いです。
作品群を見るに語るに及ばないというか…
あの場でやるなよとw
“表現の自由“との御旗を掲げただけの屁理屈も理解に苦しみますし。

やはり最高の作品は本人の意図しないところで完結するのだなと。
それは芸術家の葛藤なのかもしれませんね。

不動産ばかりで飽きないのか?

2019年08月04日 22:55

飽きないんですよね〜。

なんででしょうか?汗

不動産以外の世界も面白いことが沢山あるのでしょうね。全てを満喫するには時間があるようで足りないようにも感じます。

本文、不動産屋が仕事中に書いた文章に見えないのが、不思議ですが納得もする。

そんな風に読みながら感じました。

No title

2019年08月04日 22:30

こんばんは。

難しい事は分かりませんが、自国の為政者をおちょくる"芸術"はありと思うものの、他国の象徴を貶める事は芸術と言えるのだろうか、と思う事でした。

芸術の名のもとに何でも許されるとするのは、ただの傲慢のように感じます…。