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自己憐憫

2019年 10月01日 16:21 (火)


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こんにちは。


自己憐憫の事。
他者との関わりからなる自己から沸く感情なるが、憐憫、即ち憐れむ様なので在ろうが、一義的には他者との対峙の中での自己完結的争論でしかないのでも在ろうが、憐憫を自己に用いる、摂取している時んぼ其の自己は、実在としては自己の確立が無いとなり、其の事の空虚の存在を其の自己は知り得ては居ないので、本質的な憐憫を思惟思念してはいないとも云える。

万象通じ云える様で、本質の憐憫の其の情景等は其の後の知己や見聞等の他者性、社会性から為る様態で在り、其の社会性の中の相対的価値の基準値の押し付けと、其の肯定的流布の段階的稚拙さから生じた現象な事。

犬の心根は穏やかで、蛆虫の心も穏やかなのでは在るのだろうが、人は穏やかでは無い。

其の事が、自己憐憫を齎すとの事の質素な釈義と云う事でしか無いのでも在るが、分解的には、人が人たらしめるには、他者の関りは絶対不偏の監置的な事で穏やかさを人に付与する物で在り、其の事、即ち、人権とも呼称するのだけれども、此の、だけれどもに気が収斂しても居るのだが、其の、だけれどもに含意する意味を誹議として居ては、其れこそが人類の欺瞞的危険因子となり排除されて行く命運を知るのが自己で在り、其の露出は極めて稀でも在ろうとも知る。

中には狂信的な者が其れに当たるのだも在るが、段階的思索を用いた様の変態では無いので在り、其の実、社会性の中の安寧の人権の類から排除に為ろう事は在っても、其の存在の掃滅は意義は在ろうとも知るが、帰結的な正解では無く、所詮は法に依る処との意味で在り、人を殺めては罰せられるから罰しても善いとの思考停止の無意識なる夢現で在ろうと診える。

また、或る種の悲哀に付いて、短慮に人権侵害等や、死刑廃止を謳う愚は愚で、上述の過程では同義でも在り、道を誤っている事の帰結との解釈上でも類義でも在るが、主に共産主義者に多い類で在り、正に、教科書的な憐憫の押し売りでも在る。

決して上座に構えるので無いのだが、思索の用法や摂取に於いて、哲学的な用法を診て執る事では、此の法の事柄や憐憫等の絶対性に付いての思索の探索の可能性としては議論の余地も相当に在るとも思料する。

人権とは抑々が、憐憫なる心根から生ずる二人称の戯れでしか無いとも云えよう。

蛆は蛆で犬は犬でしかなのが本質でも在るのだが、人は人でしか無いとは思念して居ないのが悪でも在り、善とも云え、其の狭間に生き得る、此の現代の人の人権とやらや法の精神が、人の精神的混濁を齎し、時に戦争もして仕舞うとの意。

蛆も蛆とする心根が無いのが短慮な共産主義でも在り、一義的な誤飲を為した哲学的思索なのかとも思惟している。

また、其の対角に所在する宗教とは誠善く出来ても居て、其の成り立ちに至る仕儀は、狂信性が要用な事でも在り、其の事も思料出来得るが、連綿と続き至る現代では、其の仕儀のみのお題目を幼子の眼で諳んじ用いているに過ぎず、過程の様や収斂を割愛して流布しているのが実情でも在り、自由の不自由さを謳歌しているのが現代の人とも診える。

人は人として生きる事の意義や一義等の精錬は元来、数千年以上掛かるとの意味でも在ろうかとも思料しているのだが、現代、人の人としての精神や人権等は、まだ、其の過渡期でも無いと解けもするのだが、本質的な思索の試みをする事自体が、其の存在を或る意味中和的に承認追認して仕舞い、其の過誤的帰結が此の現代の人権とやらでも在り、人の不憫さを感じる心根となり得るのかとも思惟する。

要諦は、先述の様に対人との事でも在る。

対峙する他者の存在を念頭に所在する事を善とした、其の思考を所思し得る事に疑義を用いていないのも思索としては稚拙だどなり得ている事を思惟も出来ていない証左と暴露でも在る。

端的に、人権や法は個の独りの世界には無益不要な存在。
同義に憐れみや不憫さも無い。

此の帰結から出でて最少単位の子や妻を娶る時に法や憐れみが去来し得る。
独りでも、親が存在し得る事実が在るのだから、対人に配慮した法の精神の成立の帰結の過誤は無いとも在るのだけれども、個の人の起源は無いとなり、神や形而上の存在を用いる迄の思索が物事には必定との事。

人には、実態としての起源は無く、神が投げ入れた完成された存在として受け入れる事なのだろうとも執れるのだが、其処に至る迄が人を人たらしめる意義とも思惟する。

狂信者や人権、法に盲目では無く、其の成り立ちを診る事が要諦とも思索しているの事で、其の事から想起出来得る事を夢想するに、本質的の憐憫為る様とは、自己憐憫とは自己から湧き出る葛藤では無く、他者に押し付けらせた存在が社会通念と相まって創造された虚像でしかないと解ける。

翻り、其の過程では、当然、自己満足も虚像でも在ろうとも解く。
抑々の価値や知見と云った自己の中の学びや縁等の物が、人としての叡智と帰結しているのでは無く、成り得るで在ろう存在を経ても居ないのでは無かろうかとも傍観するだが、自己の個としては其の他の個は個でしか無い。

蛆と犬の相関と似て、人も蛆も犬では在る。

此の世の物は全て仮で在り、借り物の乗り物でも在るとは思念していて、如何に不条理を見付け歩き、悲嘆や苦を診る事とも察する。

其処で思う事は、憐れみ不憫等は此の世には無いと思える。
其れが在る自体が幸せなので在り、また、他者の中での自己となる鏡の世界観を観る観衆でしかないと解け、其の中での思索では、所詮合せ鏡でしか無く思索とは云えないので在ろう。

終わり。

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テーマ : 不動産投資
ジャンル : 株式・投資・マネー

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Re: ishiさんを知ると少し理解出来る

2019年10月03日 14:55

いや~難解ですねwww

僕も数日たつと少し読むのに戸惑いますw
悲しい事って其々でも在りますし、其の事に触れれもイケない事だとは思って居ますし、社会では其の様に振る舞います。

ですが、其のメカニズム的論理を自己で思索する事の有益さを説いてはいますが、意味は理解出来ないでしょうねw
考えないでも生きてはイケますすw

ishiさんを知ると少し理解出来る

2019年10月02日 00:15

こんばんは。

文章は非常に難解ですが、ishiさんの言動や文章を見ていると、理解出来る気がする部分もあるような気がします。(気がする気がするw)

他人に対する拘りがないように見えるishiさん

他人に対して興味があるようでない僕

違うようで同じような気もし、

だから?
僕はishiさんのこと好きなんだろうなぁと。笑

不動産投資に関係ない?
ようで、関係ないことなんて1つもないとも思います。