FC2ブログ

10月 « 2019年11月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  » 12月

真意と深意の符合的観察・不動産的鏡像段階。

2019年 11月08日 18:52 (金)


人気ブログランキング
↑ポチっ


こんにちは。

自身の書きたい事に終始致しまして、綴って行きたいと思います。
思考法等は所詮は、自論の自論で客観性に乏しく、物事には得てして矛盾が存在してしまいましょう、観察者から見るに目から鱗等の、他者の客観的自論にも符節が合っている様子に符合致しましょうが、その実、錯綜の混沌でしか無く新たな惑いの誕生ともなり得ます。

理解し難い自己の思考と心理の境界線の無理解の基での論壇は、ナンセンスでは有り、真意の表現をする事態で其処には本質的真意が無く、深意は有っても実存の現れで本質的真意を捉えての表現化は、深意となる事が多いとは思います。

本質的真意とは観察されない物なのかとの自論では有りますが、此れ自体が自論の自論で客観性の担保が御座いません。
先の曖昧な初心者の定義付けの自論は割愛致しますが、全てに於いて絶対は無いと云う時点で自己言及のパラドックスとは以前も記しました。

観察者の読み手自身が其処の理解の基でコラムを読むのが要諦な事。

簡単に、他者の意見に振り回され自己決断的解決が出来ないのは駄目ですよ、との文面に至極頷いては結果他者に意見の同調です。
切りが悪くなりますが、この辺んの割り切り線が何処に有るのかが、自身の自己の深意かとも思います。
本質的真意は観察出来ませんが、深意の集合体を積層していき朧気に感じるのが過程的真意とは自身では思って居ますが、あくまでも過程で観測された仮の真意でしか無く断定も出来ませんし善悪も及びません。

人生とは、決断の烏合の衆的積層体の体現的な現れなのかとは思いまして、其れは矛盾に満ち溢れていましょう。
非合理不条理な体現や理解が無い人生は、極端な卑欲な御仁と或る意味同じ船に乗って沈む事も想像出来ます。
存在自体の否定は極簡単なのかとは思いますが、吐き捨てる前に物事の両断を知る事の探究と知慮も必要なのかとは思います。

深淵を覗く者の例え宜しく、突き詰めると心が崩壊致しますが、触りを知り両断的な思考法を趣意主眼に自己に備わせる事を行いますれば、受動的な攻撃や能動的守備も自在に適い、善悪の用法も自在に往来出来る事かとも思惟致しております。

他愛の無い言葉の節々の符節の符合と矛盾の架け橋的な役割は、やはり観察するに年輪的積層の経験測なのかと思索し、その用法を他の事例に当て嵌めても有効なのかの是非は偉人で無いと観察も結論も見出せず、現代の於いては尚更、多岐に渡る矛盾の考察や、符節の細分化により煩雑にも思え、自論的に推考も致しておりますが、現実界での観察的表現を言葉で現わすには脆弱さを知覚せざるを得ないと思われます。

此の事柄を考慮に入れ、不動産投資や大家業を為すには、先ず、観察、発言、選択、行動な事が書籍などでは持て囃されし社会通念では御座いましょうが、鍵穴から覗く其の風景は、観たいものが映り込むとは限りません。
ですが、必ず同じものが皆に平等に見えてはいましょう。

見える物が同一なのにも係わらず、成功出来ない他者が存在する事は、其の成功出来ない他者の眼に映った時点に於いて、其の人は不動産投資的には鏡像段階に在り、眼に映った物が自己と結びつかず四肢バラバラに思考、行動しているのかとは存じます。

此の鏡像段階の理解を深めるに付け、言葉で発する事や文字に現わす事が要諦なとの思いでは御座いますし、この様な場でのコメントの発信も、一つの解釈の熟知にもなり得ましょう。

また、自己の疎外で見る景色と、自己同一性から見る景色は相違が生じ得て当然かとは思いますが、自己同一性を持ち合わせているとの確信的核心は、抑々怪しくも思え、自己の疎外から見る投影的な他者の振る舞いや、他者性の理解の欠如に於いての自己の確立とも云え、単に他者から見た自己の自己でしかなく、不動産投資に於いては自己同一性の確立迄に、至っていないのでは無いのかと思料致しております。

簡単に良く解る例は、自称有名メガ大家の会に所属する方々等は、似非栄光欲的で、抑々自称有名メガ大家自体が脚光等浴びては居ないにも関わらず、其処に所属し得るている自己も、間接的に脚光を浴びている気になれるとの意では有りますが、本来痛々しく、此の様が正に不動産投資に於いては鏡像段階なのかと思料出来、未だに乳を補充されて幸福に満足な位置との観察で、本質的な言語世界の住人では無いとの含意でも有ります。

自己の自尊心の自己欺瞞の解釈が出来るか否かなのですが、自尊心が無いと自己が認識出来ているのなら、自称有名メガ大家にお供しても結構な事ですが、自尊心が無いと自己に言い切れる人は、他者には依存はしないのかとは思いますし、自己欺瞞とは、本質的な自己の認識が有って初めて存在致しましょう。

結果、自尊心が見当たらないが、自尊心の無い自分を知らずに、自己欺瞞で存在している事自体にも気が付けないのかとの意でも御座いますので、其の行い自体は自己欺瞞では無いとも云えましょうが、私的観察眼では完全に自己の理解が乏しい方々の有り様は、前述の似非栄光欲の方々に共通な事です。

当然の失策は、物事に共通項が存在しているかとは存じます。

その共通項は、自己の他者異存への深度の理解。 人間一人では有りませんから、他者の存在は否定出来ませんし、異存も家族には有りましょうが、他者異存は羨望の現れと、自己の空虚さの現れでしか有りません。

其の認識が、重要な事で、他者異存の善悪の問題とは、また別かとは思います。

其れで、救済されるので在れば、金銭的に損失でも喜ばしい事ですが、主軸の喪失感も在れ、精神疾患なのかとも心配も致します。

自称有名大家に心酔している方々は、他人様に人生を変えて貰っている様ではお仕舞ですし、反駁、仰る事、其の謙虚さや理屈も全て理解はして居ますが、成熟した大人とは思えず気持ちの悪い様でも在ります。

簡単には其れだけです。

終わり。

↓ポチっ

人気ブログランキング
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

Re: 凄く分かる気がします

2019年11月09日 18:20

僕は既に息切れしていますよw

承認欲が無いのにも関わらず書く訳もないですが、其の比重の差は大きいかとも思います。
しかし、結局は目くそですからw

凄く分かる気がします

2019年11月08日 18:38

こんばんは。

楽待でコラム書くまでと、書いてからの自己を見るに変わったところがないかと言えば、やっぱり大きくありますね。

僕は元々は他人の評価に無関心な性格でしたが、ここまで来ると、喜ばれると嬉しい等の承認欲が映ります。

ただ、その事に気付きながら、またその(自分を見失う)事の恐ろしさと向き合いながら何とかやってきている気ではいます。

最近はそれでも無限に無い時間との付き合い方を考える事もあり、自分の拘りとの葛藤です。

5年後10年後には流石に疲れて一切を断ち、気の知れた面子だけで、麻雀やってるのかも知れませんね。(僕は弱いけど)