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不惑の時節の回想。

2019年 12月21日 23:21 (土)


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こんにちは。

今年も終わりに近づきましたが、此の頃意味不明な気儘な事を疎かにして居る感も在り、ふと回想的に記します。


持説所論等を所望する事が不惑の存在なのだろうが、自儘な人の行いは不可思議で不惑との事に惑うのでも在ろう。
此の存在を内観しているとの証左とも云えよう行いなのだが、投石的な衆人の番外者から視える物は、其の探索的惑いや惑う事の意義を脱兎の如く思索に怠惰で在る様が現代の人の不惑との意味でも在ろうと苦慮し、容易く脱ぎ捨てた帯びが脱衣所の籠から端だけ、だらしなく垂れる様で、淫靡にも似た感情にもなり、澄ました美女のだらしのない口元を想起させよう。

現代の不惑なる面持ちの世代が発する処の嗟嘆とは、輪廻してきた前世を上座から偲び想うとの事にも似よう。

無為なれど、為れずの惑いの歳、其の惑いを惑いとせずに過ぎ去る後に襲う背信が欺瞞となり、巣喰う処にもなり風呂場の格子の外と内、寒風の氷柱と弾く肌の上の湯気の相対なので在ろう。

湯に潜る肌の赤みは、処狭しと熱い若衆の鉄火場と相似するのだが、熱は放散されて初めて生き尽き、熱を帯びたと云えるので在ろうから、熱を感じない様、即ち、籠の中の帯のだらしなさの淫靡で在るのが、内なる内から覗く淫靡さと、隙間から漏れる湯気から氷柱を招致する外的な淫靡を求める様との相違は、意趣返しでも在るのだが、外から臨む所為は、青年期の自慰と似て全てに於いて偶発では無い。

偶発的で無い淫靡なる想いは創造でしか無いので在る。

偶像を求め彷徨う弟子は、誠に愚者とも云えるが、後世の歪曲に因る処では救われ、また逆も真ともなり得るので在ろう。
不惑の時節を惑わずに透過する事の透明で澄んで居るのでは、何にも棲めないともなるのだろう。

青年期の不面目な気恥ずかしさを、此の惑いの時節に再興し記憶を診、更なる帯を締めるとの事にも似た試みが不惑に逝くとなるのかと思念もする。

帯は所詮、腰の位置役目を果てるでも在るのだし、だらしなさや傾奇も映える様も、いで立ちの冴え。
恣意な淫靡は結果の偶然の冴えに依る処為れど、其の高貴さは診えずに淫靡な淫乱ともなる。

美は偶然の計らいでしかないので在ろうが、其の偶発を求め所作する事は其の時点で偶発を目にする事を自ら拒絶もしているのだが、違う勘定と欲目とやらで眼も塞がれ、穴を覗くも湯気ばかりとなり、其れが青年期でも在るのだ。

鉄火場に居て、帯びる熱、籠の帯、傾奇く帯。

差し程も変わりも無い様なのだが、観得る物は単調な芝居でも奥ゆかしき情念を診る事が出来得るのは、情念俟った事を深淵に在所する者が観得る事でも在り、役者また見得を切り、奥を取るのだ。

不惑とは惑わせる情念を持ち寄れるで在ろう時節に、其の後の人生訓を形付け意義を持たし、青年期の気恥ずかしさも無くてはならない自己と自己の自己完結な絆の様な事なので在り、証でも在ろう。
稚拙に気に掛けない籠の帯の人生も一つ。

淫靡を淫靡付け、熱を肌に受け発散出来得るのも常套。
夥しい帯を帯びる。

子供じみた馬鹿馬鹿しい事なのだが、此の不惑の時節に思いあぐねた惑う持説を回想したとの事で在りましたが、そろそろと天命を知らねばとも思うが聊か心もとない。

終わる。

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ジャンル : 株式・投資・マネー

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Re: 惑わないが自問する日々

2019年12月23日 18:34

単純にふと思った事を書いていますよ。
誰かの真似では在りませんが、嫌でも作風は誰かの影響は受けますね~

誰に似ているかはと、想う時の自己が大切でも在りますね。

今年もおわりですが、毎度コメント有難う御座います。。。。
まだ、あと1本書くかもですがw

惑わないが自問する日々

2019年12月22日 12:46

こんにちは。

生来、楽観的でもあり考えすぎな一面もあり、今も不惑とは言えない自身を見ます。

ただ、帯の締め方よりも、自分で締め続けることの自律心を持ち得たい。

他人の帯は良く見えるが、外した時の自身の帯はどうなっているか。

っと寄せようと頑張りましたが無理でした。汗

新しい本か演目?から来たのでしょうか?