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嘘と認識と石と海・不整合の考察。

2019年 05月22日 17:40 (水)


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こんにちは。

何も考えて居ません。

思い付きで書きますと、何時もの様な事にはなりますが其れが自分との事かとも思えては居ます。

認識の事を認めて行きたいと。

認識と嘘。

嘘の本質とは、自己の発する事柄に自己が嘘と認識し意図する事で初めて嘘と云える。

例えば、或る者が自己の真から思惟する処で、石を指し示し、石を海だとして認識し、石を海と云う事は真で在り、其れを観察する者が嘘だと云う事も嘘では無く真で在るのだと思う。

石に意志を観て意識し海と為す事は、海の要素の一篇は石にも在ろうし、海の器は石でも在るので石は海とも云えよう、観察者の認識で石は石、海は海もまた真としては存在するが、其の概念の本質とは?
との問いでは本質的に海は海と云えなくもなる。

とある喧噪や疑義は、互いに上述の認識の意識の相違と、其処に互いが感じる不整合や自己撞着を抽出的に色濃く視てしまう人間の本質的性を理解が出来ていれば、畢竟的な解は認識的思索と、其の発する事柄を観察する事で、其の言葉や意識がどの方向に向いて居るのかが視認出来、どの段階なのかも容易に観察も出来得る。

認識と存在の話し。

上述の石と海の認識の知覚も儘ならない事が現代人で在るし、此の事に思索を傾け夢想しても、お金に即符合せず、此の事がお金に符号出来ない事が喧噪の論点でも在ろう。

当然、石を海と云う者の真意を汲み取れる者は、其の事に嘘を視ない。
此の理解の在る者は、嘘と云いのける観察者の認識と存在等の思索の深度の具合が観て取れよう。

認識的な立ち位置で物事を解決しようと企てる事には限界も在り、世の中は解決し得ないとの事なので、存在論が出て執成すしか安寧は無いと思え、其の用法を用い割り切り、形而上に納める事で、尽きない思索の迷路に彷徨う事よりは健全かとも思える。

抑々が、石を海を云う者を噓吐きとしてしまう者は、認識の思索もしては居ないのであるまいか?
とさえ思える。

其の事を以って、石を海とする者は、噓吐き呼ばわりする其の者と対峙した時、またもや認識の相違の根源の探索にも出るが、嘘と云う者は、幸か不幸か、其の嘘と云う真の虚像的世界から抜け出せない事でも在るまいか?

今の認識世界が当然とは云い難く、多数を為す事で正解では決して無い。
バカの様な話しだとも聴こえようが、聴こえるならば未だ良く、聴こえない、耳にも障らない事は悲境な事とも思える。

観念まった認識世界は与えられた物でしか無いが、其処で観念世界の勤勉なる者の脱皮の蛻の殻も仕組まれし観念の内。

互いに話は噛合わ無いが、社会的規範者なる勤勉者や大衆の謀反者は、結果納まる処に納まり歯車は噛み合い、此の観念世界と私の世界が成り立つ矛盾撞着でも在ろうが、其の事を私は理解もし往来的に都合よく生きるが、観察者の海は海と為す者は理解するかは知り得ない事でも在るが、怪しいとは思料する。

此処で重要な事は、やはり、自己の正体を視る事がなのだが、現実に目視出来得る事を疑えはし難い。
だが、大真面目に疑う事が真理な事と知識として知らずに死ぬ事は勿体ない事。

正直、社会に紛れても私はマトモにお話が出来、ビジネスでも対人でも一般の観念の規範で行動も不本意ながら執れる。
其の事が重要なのでは無く、観念や社会の成り立ちを探索し、真理を触る迄は行かずとも企てる術を探し、思索する事と自己の独歩の世界と此の規範的貸与された観念めいた社会を往来する事が重要で、哲学者の様に座して思念する事は、真に思念しているとはならないのでは?
とも思え、哲学は行動し社会に塗れて初めて意味を成し得え、生となり得るとの了見でも在る。

変人に視えた時点で変人でしか無く、石も石にしか観えなければ石でしかない。

大真面目に馬鹿な事を深思する事が許される事自体が幸せかとも思う。

では終わります。

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テーマ : 不動産投資
ジャンル : 株式・投資・マネー

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Re: saitさん

2019年05月23日 16:56

客観的真実などは・・・
”嘘と認識と石と海・不整合”ですか・・・

何が嘘だか本当だか・・・

本来人はこのような世界を生きているのです。

此の事が全てかなと。

新築アンチとしては、目が覚める事が無い病との思いで傍観して居ますが、危険は発信していきたいとも思います。

セミナー講師もお金に困っているのでしょうからw
商売の邪魔は怒られますが、ネタにはします、だって、スキル無いのに年50マン?

そ奴規準なら私は500万かなwって思います。

取敢えず、また、徐々に愉しんで書いて行きます。

Re: No title

2019年05月23日 16:49

此の様に抽象的な物云いですと、皆さん色々と思いが巡るのでしょうね。

一人の人間が同時に違う人生を為せない事と同じ様に、行う前に経験測で夢想する事なのでしょうが、
根底には、失敗をしたくないとの思いと、為るべくしてして為ると思うかなのかも知れません。

憶病でも何も出来ないですし、またヤッテしまったとの事も嫌・・・・

其の積み重ねと、勘の良さが何かを分けるのでしょうかね。

客観的真実などは・・・

2019年05月23日 05:47

”嘘と認識と石と海・不整合”ですか・・・

何が嘘だか本当だか・・・

本来人はこのような世界を生きているのです。

このブログを読んでいたら、何故か映画の羅生門が頭に浮かびました。

一言二言で語れない摩訶不思議な世界を人は生きているのです。

人それぞれ・・・

石が海でもある筈がなく・・・でもそのように見えている人もいる。

その人にとっては真実なのでしょう。

この摩訶不思議な世界は、本来、語り得ぬものなのでしょう。

語ったとしても語っているのは自分自身です。

この独白を聞いて、他人は・・・

分かる人は分かる、分からない人は分からない

石は海なのかも知れません・・・私には分かりませんが・・・

新築RCをおっ建てて悦に入っている人。何故か石が海に見えているのでしょう。

客観的真実などあるのかないのか、それすらも分からないのに、一生懸命本を読んで勉強し、大枚を叩いたセミナーを信用していまうパターンが後を絶えないのは、そんなことなのでしょう。

No title

2019年05月22日 23:08

こんばんは。

石と海。
昔、真実と事実の違いについて考えた事を思い出しました。

短大の時の教授が、私淑していた作家が亡くなった時に病室で看取ったのは自分だったが、奥さんは自分が看取ったと言っている。きっと文学史の中では、奥さんが看取った事になっていくのだろう、と寂しそうに言っていた事がありました。

その作家とその奥さんの話は、後に映画にもなりました。(死の棘という本があり、映画も同じ題名で制作されました。岸部一徳さんと松坂慶子さんが作家とその妻の役を演じていらっしゃいました)

奥さんの授業を短大の時に一度だけ受けた事がありましたが、その生い立ち(神話の国のような離島の島長の娘として、大事に育てられた)の為もあるのか、その当時で今の私の年よりも少し上ながら、少女のような方でした。

そんな方だから、一生を添い遂げたご主人の今際の時にいたのは自分、と信じたのだと思います。

教授が看取ったのは事実(実際にあった事)。でも、奥さんの中では自分が看取った事が真実(心の中の真の事)。

昔読んだ本で、もし全く同じ意味を持つ言葉があったとしたら、二つも存在する必要は無いので一つは消え去る。もし二つの似た言葉があったとしたら、それは全く同じ意味を表す事はなく、何かの違いがある、というような事が書いてあったのを、事実と真実という言葉について思い巡らせた時にふと思い出したのを今思い出しました…。

事実は一つだけだとしても、『藪の中』のようなもの。
それぞれの人の中で、それぞれの人が信じている事が、それぞれの人の真実なのかもしれません。

いつもながら考えさせられるコラム、本当にどうもありがとうございました。

Re: 地主さん

2019年05月22日 21:02

感動w
余程、例のコメが引っ掛かっていたんですね。
だが、一般の普通~の人から見たら、そぅ見えてもやむを得ずなのでしょう。

其の事を以っても、先の事は何ら気にする事の無い事かと。

間違いないのは、彼らが居る事で我々みたいな者も居るとの事だけかな~。


> 追伸
> PAMさん、おススメしたの僕ですが、お気に召したようで嬉しいです!

↑PAMさんが此処を見てるとの事?

勝手にコラボ企画

2019年05月22日 18:30

こんばんは。

人間とは誠勝手なもので、本コラムを読むと正に自身の思考へと広がり、同じことが言いたいのだと思えます。

多くの人に読んでもらいたいとも思いますが、理解してもらいたい訳でもないかも知れない。

理解する人だけが読めば良いのかもとも思います。

この二本はかなり響きました。感動級にw

追伸
PAMさん、おススメしたの僕ですが、お気に召したようで嬉しいです!

Re: 目の前の積木 エフさん

2019年05月22日 18:02

とても詩的なコメントで読み入って仕舞いました。

自由って本質的に不自由にも感じますが、其れを体現出来ると、また違った思いも出て……

指示待ちを心地好く感じたり、通念社会が当たり前で安寧する方々を揶揄もしてますが、実際、金持ちの自分を振り返り見ない方々は失敗する事なのでしょう。

目の前の積木

2019年05月22日 11:02

思うのは以下のよう。

所与の観念をもって、見聞きするものを型に入れ、積み木のように積み上げる。
高く高く。

お勉強ってそんなところがあるような。

そんな在り方もいいけれど、それだけでは窮屈かなと。

観念の中に埋没せず、認識そのままを受け入れ、自分を感じながら自由に在りたい。そう思うのです。